こんにちは。
2022年もあと少し。 振り返ると、今年は私にとって大きな転機となりました。
「誰かの役に立つ自分であること」が何よりも大事な価値観であり、
それこそが家族の中で自分の存在価値だと思っていた私にとって
「誰かの、何かの役に立たなくてもいい」という価値観との
衝撃的な出会い。
足元がグラグラと崩れるような、
でもその崩れた足場の下の方から強い強い光が一気に溢れ出たような・・・
そんな出来事でした。
価値観の造成には育った環境や出会いが大きく影響すると言われますが、私も然り。
私は四人きょうだいの第一子に生まれ、幼い頃からたくさん母のお手伝いをしてきました。
弟妹たちにかかりきりの母に甘えることは「お姉ちゃんなんだから」と我慢の日々。
手伝いをして「助かった、いてくれて良かった!」と母に褒めてもらうことが
自分の存在を感じてもらえる唯一の時間だと感じていました。
大人になってからも「察してちゃん」な母に喜んでもらいたくて、
気遣いの先回りもしたりして。
喜んでもらえると心が満たされました。
役に立つ。 気が利く。 使える人材。
そうじゃない人は KYだとか、あいつ使えないとか言われてしまう時代がありましたね。
「お前は存在価値がない」と烙印を押されるようで、家族でも社会でも
その評価が自分についてしまうのが怖くて仕方ありませんでした。
楽観的で前向きに物事を捉えるタイプではあるものの
言動の選択根拠は「誰かの役に立つかどうか」でした。
「誰かの役に立たなくても、そのままの自分でいい」という言葉には
これまで幾度となく接してきたし、
「ありのままの自分になるの」と朗々と歌い上げるエルサに何度涙したか分かりません。
それでも、自分ごととしてその言葉を受け取ることはなかなかできなかった私。
そんな頑なな心が動いたのは、今年の春にこの記事を読んだ時でした。
ファンシーで超かわいい棒を作成されたmillna さんが、作成経緯を語られます。
「さらにあるとき(テレビ番組の)『マツコの知らない世界』の中の、叶姉妹さんの『何も入らないバッグの世界』という特集を母に見せられました。いつも人の役に立ちたいと焦りあくせく働き続けてしまう私の目には、何の役にも立たないし生きることに絶対必要でもないのに、間違いなく存在に値する理由あって存在し続けている『何も入らないバッグ』というものが、とてもすばらしく魅力的に見えました。そして、私ならば『魔法少女ステッキのバッグ』を作りたい。そう夢見てきたのです」
(記事本文より引用)
足元が崩れ始めた瞬間でした。
「役に立たなければ存在意義がない。 役に立たないものは不要である。 」
不動の価値観に
「それっていつどこで、誰にとって、何のために?」 という疑問が吹き出しました。
さらに足元は崩れ続けます。
──どんな使い方を想定していますか。
「どんな使い方も想定していません。何の役にも立たないと思います。めちゃくちゃかわいいだけです。実際に購入してくださった方々は、そのイベントがファッションパレード企画のあるロリータファッションイベントだったこともあり、『パレードで持ちます♪』と言って買って行かれました。最高だなーと思います。無駄で、豊かで」(記事本文より引用)
無駄で、豊かで、最高。
こんな捉え方には今まで出会ったことがありませんでした。
光が足元から強烈に溢れ出します。
「世の中、あまりにも有意義すぎますので、たまにはただ無駄なものがあってもいいんじゃないでしょうか。何の役にも立たない、かわいい無駄。いかがですか」(millnaさん)(記事本文より引用)
そうして完全に解き放たれました。
小学生の頃から強く握りしめてきた「役に立たなきゃ」という重たい思いを
ようやく自分の手から離すことができた瞬間、
ただただ、そのままでいいんだ。 心からそう思えたのでした。
そして、少しずつだけれど、色々できるようになってきました。
「役に立たなきゃ」という価値観を脱いだことで
日常のあちこちで軽やかな選択をできるようになりました。
改めて、とーーっても重い価値観だったんだなぁと思います。
生まれてきたからには社会の役に立つべき!
という強迫観念のような思いも、いつの間にかなくなっていました。
「自分のまま」を大事にした結果、回り回って誰かの役に立てていたら
それはとっても嬉しくて幸せなことだと思います。
そして、そんな私の姿を見た娘に
そのままの自分でいいのだと伸び伸び育ってもらいたいと願っています。
『自分の在り方』を改めて探すきっかけになった話でした。
長い長い話を読んでくださり、ありがとうございました。